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東京2014

東京の旅*御成門の昭和のロマン感じる!? ランドワーク!!東京タワー[後編]

御成門の昭和のロマン感じる!? ランドワーク!!東京タワー[前編]」の続きです。

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猫夫のエッセイ記事+αで今回も!!かなり長いですが、おつきあいいただければ嬉しいです。

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<東京日記⑱>東京タワー[後編]

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東京の夕暮れを楽しんだ後は、外からも景色を堪能。

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(景色の中に小さい東京スカイツリーも撮影していますので、よければ探してみてくださいね。)


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下から見上げる鉄塔は見事なもの。
昭和33年から…東京の人々の心のランドマークになっているという事にも納得ができる。

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やっぱり東京タワーは…中から見るより、外から見た方が素晴らしい。

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そんな東京 ランドマーク東京タワー
(そんな東京日記を変更しました…。)

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初めて二人が東京タワーへ上がった感想は、確かに展望台からの景色は良かったのですが…、
かなり老朽化している1階の内装や1階のまとまりのない展示や商品の陳列と…センスのなさに、
「やっぱり東京タワーは…中から見るより、外から見た方が素晴らしい。」というものでした。
けれど東京タワーの建設された歴史を知り、一度は必ず特別展望台へは登ってみるべきだなと云う感想も持ちました。

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その東京タワーの建設された歴史的背景とは…。
偶然にもこの東京タワーの記事を更新しようとしていた夏頃、この東京タワーの設計を手掛けた
内藤多仲氏(ないとう たちゅう)の特集番組がBSTVで放送されていました。
wikipediaより
「内藤多仲(1886年6月12日-1970年8月25日)は、戦後は東京タワー、通天閣(2代目)など多数(70基)の
鉄骨構造の電波塔・観光塔の設計を手がけ、「耐震構造の父」と評され、「塔博士」とも呼ばれた。」

またその特集番組の内容が興味深く…とても素晴らしかったもので、猫夫のようにエッセイ風にまとめてみました。
かなり思い違いもあるかもしれないので、よければ再放送もあるようですので是非♪➸近代建築誕生秘話『塔博士の愛した数式』

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<東京タワーの誕生秘話>

関東大震災後、ほとんどの建物は倒壊や火事で焼失したが、内藤多仲の建築した建物だけがそのままに残った…。
なぜなら、その時代デザインやアメリカの建築方式が主流の中、内藤多仲はその設計に疑問を持ち、
地震大国の日本に見合った、鉄筋をコンクリートで囲んだ耐震設計を優先し設計していたからだ。

また多くの建物を再建するにあたって何より優先したのは、耐震と防火…!!
震災後に必要なものとして、ラジオの普及には電波塔が必要と感じ、東京タワーの設計に務めたとか。

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高い建造物や塔が建つのは、昔から何らかのシンボルや、その時代の意味あるランドマーク的役目を果たしてきたようだ。

名古屋テレビ塔が建築されたその2年後、その四天王寺の近くに、戦争で壊滅した地域の地元の市民である庶民の希望により、
1956年新世界のシンボル大阪通天閣が、
人々の心の拠り所や支えとして建築され…その時代のその地に住む人々のパワーの象徴だと話されていた。
また他に…今も残る内藤多仲の設計した建築物は多い。➸wikipedia

空襲により被害を受けた名古屋の街の名古屋テレビ塔…。
今やデジタル化が主流で、テレビ電波塔としての機能は果たしていないけれど…、
今では名古屋に住む人々の思い出やなつかしさ、苦しい時代に希望や未来のシンボルや
心の拠り所となっていたからこそ、今も大切に残されているのであろうと綴られていた。

それは東日本大震災後の"奇跡の一本松"が姿を変えて…モニュメントとして残されたことと同じようにも感じる。

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内藤多仲が設計した東京タワーは、戦車の強靭な鉄骨で造られた。
繁栄の元にある死の恐怖を知っていたからこそ…生まれた緻密な計算式による。
何より人間が危険にさらされない為の、デザイン性よりも安全性を優先した哲学…。
フランスパリのエッフェル塔よりも、"高い機能的かつ美しい塔"を追求し、緻密な計算式で成り立っていた。

東京タワーは内藤氏の真骨頂とも云え、1958年12月23日に、1本1本の鉄骨に魂が通った…。
エッフェル塔には遊びやデザインがあるのに対し、タワーは無駄がない設計で、安全性を追求した上の
「塔とは装飾などの無駄がない、数字の作った美しさ」と考えた内藤多仲…。
「妥協のない信念を貫いた建築家」とも言われていたそうだ。

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人間は高い塔を造ることを、昔から想像してきた…。
近代的な五重塔… 岬の灯台… 高いものへの憧れ…
四天王寺の五重塔が建つのは…昔であれば岬の場所。
東京タワーも縄文時代であれば…岬であり、その地盤を内藤氏は理解していたようで…、
科学と歴史を学び、塔建築の数式を何度も何度も計算し尽くし編み出しながら、設計していったようだ。

バベルの塔が有名な話だが、
「死に惹かれる人間の心…その肖像に、内藤氏も惹かれていたのかもしれない…。」と番組では結んでいた。


この番組を見た時、本当に感動し…これほどまでに仕事を超え、
自分の作るものに情熱を注ぎ、設計したものに対する責任感や人生をかけて建築したことに強く感銘を受けた。
只やはりその子供たちは、いつも書斎にこもり仕事をしている寡黙な父親像を見ていたようだが、
今となっては「父を誇りに感じる。」と話されていた気がする。(再放送を見なければ…)

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このエッセイを書いている途中…、一瞬内藤多仲氏が中原中也氏と間違えそうになるくらい、
詩的なセンスをも持っているように感じましたが…、きっとそれはこの時代に生きた人がなせる技なのかとも感じたり…。

ランドマークとしての役目は、東京スカイツリーに奪われつつある昨今ですが…、
歴史と共にこれまで歩んできた道のりは、東京タワーの"高い機能的かつ美しい塔"としてのデザイン性と、
それがすべて耐震構造を優先して設計された意志があって事を想うと…、
昭和を代表する心の拠り所としてのランドマークとして…、大切に次の時代にも守られていってほしいなと思いました。


最後まで長い長い文と写真をご覧いただきありがとうございました。

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by tukimi-kai | 2014-10-04 17:32 | 東京2014 | Comments(0)

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