志賀直哉旧居を後にして、道を挟んでお隣の"たかばたけ茶論"(サロン)へ…。
目的地だけではなく、周辺も隈なくチェックしたがり…
反対へ歩いていこうとする猫夫です。
十数年ぶり?数十年ぶり!に訪れた…たかばたけ茶論の由来は、
と書かれたかわいい文字の看板が教えてくれました。
この洋館は、志賀直哉邸のお隣に自邸として住んでいた足立源一郎画伯(1889-1973)から、
1928(昭和3)年に洋画家.中村義夫(1889-1957)が譲り受け、
現在は洋画家.中村一雄夫妻が住まわれ、
1981(昭和56)年11月ガーデンを開放しカフェにしたものだそうです。
この日は30度を越える真夏日で「この暑さで観光客の方はほとんど来ません…。」と
言われるほどの暑さで、私たち二人の貸しきり状態でした。
以前来た時は、鬱蒼と感じるくらいの木立と、
その木々の緑にスっポリ包み込まれた安心感のある、夏でも涼やかな雰囲気が気に入っていたのですが、
今回は何だか木々が減りすっきりした様子…。
尋ねてみると、3年前にあまりにも大きくなった木を少し伐採したとか…。
少し淋しい気もしましたが、
若草山に春日山、お隣の志賀直哉旧居の二階からも見えていたように、
逆にこちらからも眺めることができたりと、
今もお住まいの洋館も見えて、
大正や昭和の趣とカフェと言う現在のサロンの形が、
時代は違えども一体化されて落ち着きさえ感じます。
また観光客も少ない為か?家族で経営されておられるのか?アットホームな感じで、
チョコチョコお孫さんもお手伝い・・・。閉店間際になって帰ろうとすると、
私たちがいる間はゲームをしていた彼は、雨が降り出したこともあって、この白い椅子を重ねはじめました。
このたかばたけ茶論を経営されておられる中村氏がお住まいの洋館は、
平成12年12月4日国の登録有形文化財に指定された
中村家住宅(旧足立家住宅)…!
文化財の主屋・塀は、表から見ると説明看板もありますが、
現在は、このたかばたけ茶論からか…
表門の前の道から(写真あり)の外観だけの見学に限られているようです。
そしてその案内看板には、
「主屋は、赤瓦を葺き、外壁をモルタルで仕上げた洋風住宅です。
フランスから帰宅した足立自らから南プロバンス風に設計したと伝わっています。
内部には、ステンドグラスで飾った玄関、吹き抜けのアトリエ、サンルーム等があります。
土塀にも赤瓦を使用し、瀟洒(しょうしゃ)な門柱を構えています。
なお、この一帯には、明治初期まで、
春日大社の神官たちが、土塀で囲った屋敷に暮らしていました。
当家の土塀も、そうした歴史を引継ぐものです。奈良市教育委員会」・・・と。
志賀直哉と同じく自邸を自ら設計し、
日本だけでない洋風な建築を取り入れたからこそ、
現在にも通じるカフェにもなっているんだなと思いました。
また取壊しが決まっていた志賀直哉旧居の保存運動を、
隣家に住むこちらの中村一雄氏が中心となり、
その趣旨に賛同した「保存する会」のメンバーの熱意もあって成し遂げられたものであるという事を、
一切記載されたものがなく知る人は少ないようです。
今回"たかばたけ茶論"を訪ねることで、懐かしさを感じる以上に、
過去には知ることもなかった…歴史を知ることのできたカフェでのひとときでした。
続きも懐かしい場所に、ようやく奈良らしい鹿にも遭遇します。お楽しみに・・・。
目的地だけではなく、周辺も隈なくチェックしたがり…
反対へ歩いていこうとする猫夫です。
十数年ぶり?数十年ぶり!に訪れた…たかばたけ茶論の由来は、
「昭和の初期、多くの文人画家が好んで居を構えたこゝ高畑(たかばたけ)に
志賀直哉を中心とした"高畑サロン"が誕生しました。
私たちはこゝに高畑サロンの復活を願い、現代人のゆとりある交流の場にしたいと思います。
高畑族の一員であった足立源一郎画伯が、大正8年(1919)年、
南仏プロバンスの田舎家を模して建てたこの洋館は、
ヒマヤラ杉を通して志賀旧居と一体となる風景をかもし出しています。
奈良に新しい文化が芽生えることを願い、自宅解放にふみきりました。…」
と書かれたかわいい文字の看板が教えてくれました。
この洋館は、志賀直哉邸のお隣に自邸として住んでいた足立源一郎画伯(1889-1973)から、
1928(昭和3)年に洋画家.中村義夫(1889-1957)が譲り受け、
現在は洋画家.中村一雄夫妻が住まわれ、
1981(昭和56)年11月ガーデンを開放しカフェにしたものだそうです。
この日は30度を越える真夏日で「この暑さで観光客の方はほとんど来ません…。」と
言われるほどの暑さで、私たち二人の貸しきり状態でした。
以前来た時は、鬱蒼と感じるくらいの木立と、
その木々の緑にスっポリ包み込まれた安心感のある、夏でも涼やかな雰囲気が気に入っていたのですが、
今回は何だか木々が減りすっきりした様子…。
尋ねてみると、3年前にあまりにも大きくなった木を少し伐採したとか…。
少し淋しい気もしましたが、
若草山に春日山、お隣の志賀直哉旧居の二階からも見えていたように、
逆にこちらからも眺めることができたりと、
今もお住まいの洋館も見えて、
大正や昭和の趣とカフェと言う現在のサロンの形が、
時代は違えども一体化されて落ち着きさえ感じます。
また観光客も少ない為か?家族で経営されておられるのか?アットホームな感じで、
チョコチョコお孫さんもお手伝い・・・。閉店間際になって帰ろうとすると、
私たちがいる間はゲームをしていた彼は、雨が降り出したこともあって、この白い椅子を重ねはじめました。
このたかばたけ茶論を経営されておられる中村氏がお住まいの洋館は、
平成12年12月4日国の登録有形文化財に指定された
中村家住宅(旧足立家住宅)…!
文化財の主屋・塀は、表から見ると説明看板もありますが、
現在は、このたかばたけ茶論からか…
表門の前の道から(写真あり)の外観だけの見学に限られているようです。
そしてその案内看板には、
「主屋は、赤瓦を葺き、外壁をモルタルで仕上げた洋風住宅です。
フランスから帰宅した足立自らから南プロバンス風に設計したと伝わっています。
内部には、ステンドグラスで飾った玄関、吹き抜けのアトリエ、サンルーム等があります。
土塀にも赤瓦を使用し、瀟洒(しょうしゃ)な門柱を構えています。
なお、この一帯には、明治初期まで、
春日大社の神官たちが、土塀で囲った屋敷に暮らしていました。
当家の土塀も、そうした歴史を引継ぐものです。奈良市教育委員会」・・・と。
志賀直哉と同じく自邸を自ら設計し、
日本だけでない洋風な建築を取り入れたからこそ、
現在にも通じるカフェにもなっているんだなと思いました。
また取壊しが決まっていた志賀直哉旧居の保存運動を、
隣家に住むこちらの中村一雄氏が中心となり、
その趣旨に賛同した「保存する会」のメンバーの熱意もあって成し遂げられたものであるという事を、
一切記載されたものがなく知る人は少ないようです。
今回"たかばたけ茶論"を訪ねることで、懐かしさを感じる以上に、
過去には知ることもなかった…歴史を知ることのできたカフェでのひとときでした。
続きも懐かしい場所に、ようやく奈良らしい鹿にも遭遇します。お楽しみに・・・。
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rakurakurakuko at 2011-08-05 16:16
あーこのたかばたけ茶論も、志賀直哉邸も、そのうち行こうと思いつつ行けなかった場所。
あーぐやじー…。(-_-;)
こうした和のものと洋のものが昔からあると言うのが、やはり古都、奈良は特別な場所だったのだなぁと思います。
文化がそのまま残っていて、なにもかもがゆったりとしている感じ。
いいですよね~。
あーぐやじー…。(-_-;)
こうした和のものと洋のものが昔からあると言うのが、やはり古都、奈良は特別な場所だったのだなぁと思います。
文化がそのまま残っていて、なにもかもがゆったりとしている感じ。
いいですよね~。
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tukimi-kai at 2011-08-05 19:40
えー楽子さん行ったことなかったのですかー、記事にしてよかったです!…。(^_^;)
奈良に住んでいる奈良県民でも行ったことない人は多いかも・・・。
しかもほとんど観光客のいないのも少し寂しかったです。
人も?時間も!ゆったりしているのはいいけれど、志賀直哉がここに9年しか暮らさなかったのは・・・、「奈良の古い文化や自然の中に埋没して、時代遅れになろうとしている自分を見、かつまた子どもの教育を考え、東京へ居を移した・・・」とあって、なんだかドキッとしましたが、時代も違うし刺激を求められたのでしょう。しかも子どもの教育に今では奈良は最適ですしね~。
しかも26回も引越しされたうち、旧居が残っているのはここだけだとか・・・!またいつかこちらに来られた時には、楽子さんも寄ってみてくださいね。奈良はいつでもここにありますから・・・。
奈良に住んでいる奈良県民でも行ったことない人は多いかも・・・。
しかもほとんど観光客のいないのも少し寂しかったです。
人も?時間も!ゆったりしているのはいいけれど、志賀直哉がここに9年しか暮らさなかったのは・・・、「奈良の古い文化や自然の中に埋没して、時代遅れになろうとしている自分を見、かつまた子どもの教育を考え、東京へ居を移した・・・」とあって、なんだかドキッとしましたが、時代も違うし刺激を求められたのでしょう。しかも子どもの教育に今では奈良は最適ですしね~。
しかも26回も引越しされたうち、旧居が残っているのはここだけだとか・・・!またいつかこちらに来られた時には、楽子さんも寄ってみてくださいね。奈良はいつでもここにありますから・・・。
by tukimi-kai
| 2011-08-04 18:52
| 奈良
|
Comments(2)