神仏習合 手向山八幡宮

若草山山麓で鹿と戯れた後、何かにひきつけられるように訪れたのは、
奈良市街東部の手向山麓に位置する手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)…。

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桜の季節に訪れた時「奈良散歩*鹿と桜と二月堂」には正門前で写真を撮るだけでしたが、今回ここに来るのは自然な成り行きか何かのお導きか…?

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Wikipediaより、「天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。
八幡宮からの分社では第一号である。


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当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、
治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建した。

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当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。」

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また「手向け」(たむけ)と聞きなれない言葉の意味は、「1.神仏や死者の霊に物を供えること。また、その物。
2. 別れる人へのはなむけ。餞別(せんべつ)。3.(峠には道祖神などの境の神が祭られており、
そこで旅の安全を祈って供え物をしたところから)山路をのぼりつめた所。峠。」であり、

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手向山八幡宮の場合は、神仏や死者の霊に物を供えていた、手向山の麓の八幡宮と云うことなのではないかと思われます…。
もともと歌にも詠まれていた手向山とは、現在の手向山八幡宮の場所とは違っていたことから、
大和と山城の国境の平城山(ならやま)の峠を指すとも云われていたそうです。

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またこの手向山は紅葉の名所としても知られ、
菅原道真(すがわらのみちざね/みちまさ/どうしん)が『古今集』『小倉百人一首』で詠んでいる歌でも有名です。

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「此の度(このたび)は 幣(ぬさ)も取り敢へず(とりあへず) 手向山 紅葉(もみぢ)の錦 神の随(まにま)に」…と。

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その歌の意味は「こんどの旅は宇多上皇の御幸のお供で急いで来たために道祖神にたてまつる幣を
用意するひまもなく来ました。この手向け山のみごとな紅葉の錦を幣として、神よ、御心のままにお受け取り下さい。」とのこと。

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そして、参拝そのものが伝説化し、 菅原道真公が座ったであろうとされる腰掛石もあったのでした。

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菅原道真公と云えばWikipediaより、「承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。

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忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。
しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
現在は学問の神として親しまれる。」

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かの聖徳太子さえも、菅原道真公と同じく、祟りを恐れた朝廷やもしくは彼の死後生きていた人々によって、
信仰の対象とされ神格化され、代々にわたり云い伝えられたのではないかという意見もあります。

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実際は蘇我入鹿であったり、ペルシャ人であったり、もしくは聖徳太子と云う名前の人物自身が存在すらしていないのではないかと云う文献や論争があり、謎は深まるばかりです。

信じるか信じないかはあなた次第…。そんな歴史を少し垣間見た、手向山八幡宮でした。


"神仏習合"の意味は、Wikipediaより、「日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。」ですが、「古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し…宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた。(手向山八幡宮も同じご神体で、現在は東大寺勧進所八幡殿のあるとか。)…東大寺は大仏建立に協力した宇佐八幡神を勧請して鎮守とし、これは現在の手向山八幡宮である。…こうして神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示している。」から、手向山八幡宮(神社)も創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたにもかかわらず、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した経緯を辿り、"神仏習合"の影響を受けた象徴的な神社かなとも思えたので、この言葉をタイトルに入れてみました。





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by tukimi-kai | 2013-05-19 21:57 | 奈良 | Trackback | Comments(0)
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